こんにちは、編集長のママです。
今回は、東京女子医大の元理事長である岩本絹子さんについてお話しします。
東京女子医大といえば、創設者である吉岡彌生が中心となり、その後も吉岡一族が長く深く関わってきたことで知られています。
そんな中、岩本絹子さんも苗字こそ違いますが、吉岡一族の一員だと言われているのをご存じでしょうか?
この記事では、岩本絹子さんと吉岡彌生の関係、そしてその家系図について一緒に探ってみたいと思います。
岩本絹子さんと吉岡彌生の関係は?
吉岡俊正さんは吉岡彌生の孫?
まず、吉岡彌生さんの子孫についてWikipediaを確認してみましょう。
ウィキペディアでは、岩本絹子さんの前に東京女子医科大学の理事長を務めた吉岡俊正さんが吉岡彌生さんの孫とされています。
しかし、慎重に調べてみると、どうやらそれは少し違うようです。
吉岡俊正さんは、吉岡彌生さんの夫である吉岡荒太の3番目の弟の孫にあたることが判明しました。
つまり、正確には吉岡俊正さんは吉岡彌生さんの大甥にあたります。
なお、この情報の出典は『Zaiten』2015年6月号です。
岩本絹子さんと吉岡彌生さんの関係は?
次に、岩本絹子さんと吉岡彌生さんの関係について調べてみました。
その結果、岩本絹子さんは吉岡彌生さんの夫、吉岡荒太の2番目の弟の孫であることが分かりました。
つまり、岩本絹子さんは吉岡彌生さんの大姪にあたります。
そして、岩本絹子さんと吉岡俊正さんの関係ははとこ同士ということになります。
出典は上に同じです。
家系図
家系図で表現すると次のようになります。
吉岡彌生の功績
吉岡彌生は、日本の近代において、女性医師の養成と地位向上に多大な貢献をした人物です。
その主な功績は以下のようにまとめられます。
- 東京女子医科大学の創設:
- 1900年、東京至誠医院内に東京女医学校を創設しました。この学校は後に東京女子医科大学となり、日本の女性医師の育成の中心的な役割を果たしました。
- 女性が医学を学ぶ道を開き、日本の女性高等教育の発展に大きく貢献しました。
- 女性医師の地位向上:
- 女性が医師として社会で活躍できる環境を整えるために尽力しました。
- 女性の社会進出を推進し、女性の地位向上に貢献しました。
- 医学教育の振興:
- 東京女子医科大学において、医学教育の質の向上に努めました。
- 女性医師の研究活動を支援し、医学の発展に貢献しました。
- 社会活動:
- 女性の権利向上運動にも積極的に参加し、婦人会の活動などを通じて社会改革に貢献しました。
- 太平洋戦争中は愛国婦人会の役職を務めるなど、時代背景の中で様々な活動を行いました。
吉岡彌生の生涯は、日本の女性の社会進出の歴史において重要な一章を占めています。
彼女の創設した東京女子医科大学は、現在も多くの女性医師を輩出し、日本の医療界に大きな影響を与えています。
新体制で、創立者の、創立当時の理念を時代に合わせて貫いてほしいですね!
まとめ
- 岩本絹子さんは、東京女子医大の創設者・吉岡彌生さんの大姪にあたる。
- 吉岡彌生さんの夫・吉岡荒太の2番目の弟の孫が岩本絹子さん。
- 吉岡俊正さんは吉岡彌生さんの大甥で、岩本絹子さんとははとこ同士。
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