こんにちは、編集長のママです。
今日は、ボクシング日本代表として活躍する岡澤セオンさんについてお話しします!
スポンサー収入だけで生活する「アマチュアのプロ」として注目される彼。陽気なキャラクターも魅力的で、バラエティ番組でも大人気ですよね。
そんな岡澤さんですが、実はガーナ出身の父と日本人の母を持つハーフ。
そのご両親はいったいどんな方なのでしょうか?
ふと気になって、調べてみることにしました!
岡沢セオンさんの父と母について
岡澤セオンさんのプロフィール
岡澤セオンさんは、1995年12月21日生まれのアマチュアボクシング選手で、山形県山形市出身です。中央大学法学部を卒業後、INSPAに所属し、世界的な活躍を続けています。
2021年の世界選手権ウェルター級で金メダルを獲得し、日本ボクシング界の歴史に名を刻みました。
また、2024年のパリ五輪にも日本代表として出場、一回戦敗退となりましたが今後の活躍が期待されています。
スポーツの原点はレスリング
セオンさんのスポーツ人生は、小学校時代に始めたレスリングからスタートしました。
中学校時代も9年間続けたレスリングに情熱を注ぎ、五輪出場を目指していましたが、高校の入試で志望校に進学できなかったことをきっかけに新しい道を模索することに。
進学した日大山形高校でボクシング部に勧誘され、本格的にボクシングを始めます。
初めはボクシングに熱心ではなかったものの、3年生のときには山形県高校総体のライト級を制覇し、国体でも5位入賞を果たしました。
中央大学での成長
中央大学法学部に進学後、ボクシングへの取り組みはさらに本格化します。
大学1年生で国体3位入賞、4年生では準優勝を果たし、その才能を全国に示しました。
大学卒業後は就職を予定していましたが、鹿児島県体育協会からの誘いを受け、ボクシングを続ける道を選びます。
世界舞台での挑戦
セオンさんの名前が広く知られるようになったのは、2019年のアジア選手権で36年ぶりとなる日本人メダル獲得を果たしたときのことです。
その後も全日本選手権で連覇を達成し、2021年の東京五輪に出場しました。
惜しくもメダルには届きませんでしたが、同年の世界選手権では金メダルを獲得し、日本人初の快挙を成し遂げました。
プロのアマチュアボクサーとしての新しいモデル
現在、セオンさんは「プロのアマチュアボクサー」として活躍しています。
スポンサー収入を基盤とし、遠征費やケアの費用を自費で賄うなど、自立した活動を行っています。
その姿は、次世代のアスリートにとっても新しいロールモデルとなっています。
仲間との絆
プライベートでは、中央大学時代の同期であるバレーボール選手の石川祐希選手や競泳選手の砂間敬太選手と親交が深く、互いに刺激を受け合う存在だと語っています。
また、活動拠点の鹿屋市の人々にも支えられ、地元への感謝の気持ちを忘れない姿勢も印象的です。
岡澤セオンさんのこれまでの歩みは、挫折を乗り越えながら自分の道を切り拓いてきた努力と情熱の物語そのもの。
今後の活躍にも目が離せません!
岡澤セオンさんの父:ガーナ出身の素敵な父親
セオンさんの父親はガーナ出身。
名前は一般には公表されていませんが、セオンさんと弟のオサイリスさんの名前に「メンサ」という名前が含まれていることから、父親の名字は「メンサ」さんではないかと推測されます。
現在、お父さんはガーナに住んでおり、日本にはいないそうです。
そのため現在の画像はありません。
しかし、以前テレビに出演した時の画像がありましたので掲載します。
セオンさんによると、英語で連絡を取り合うものの、英語が得意ではないため返事をしないことがあり、怒られることもあるのだとか。
ユーモアを交えたエピソードからも、親子の仲の良さがうかがえますね。
また、セオンさんは「黒人の父親」をネガティブに捉えたことは一度もないと話しています。
彼はこう語っています:
「僕も黒いという特徴がある人。同じだと思っています。肌が黒い人に対してカテゴライズするより、『黒いという特徴』として捉えてもらいたいですね。」
セオンさんの言葉からは、父親の存在が彼の価値観や考え方に大きな影響を与えていることが感じられます。
岡沢セオンさんの母は社長令嬢
セオンさんの母親は、山形県で「おかざわグループ」を経営する家系の娘、岡澤祐子さんです。
パリ五輪の際にテレビで取り上げられていました。
おかざわグループ
岡澤選手のお母さんの実家は、山形県内で「ビジネスホテルおかざわ」と「味の店スズラン」などを経営する「おかざわグループ」という企業です。
特に「味の店スズラン」は創業50年以上を誇る老舗で、地元では知られた存在。
コロナ禍にも負けず営業を続けてきたその姿勢は、地域の人々に愛されている証拠でしょう。
母・祐子さんの厳しい教育方針
岡澤セオン選手の学業に関して、お母さんである祐子さんはとても厳しかったそうです。
彼女は、「スポーツは才能が絡むため結果が出ないこともあるが、勉強は努力次第でできるようになる」と信じており、常に「勉強だけはしなさい」と言い聞かせていたとか。
その影響もあり、岡澤選手は山形の日大山形高校で校内成績3位以内を常に維持していたとのことです。
このような母親の指導が、岡澤選手の努力と成功の土台になったのではないでしょうか。
まとめ
ガーナ出身の父と、日本の「おかざわグループ」の社長令嬢という特別な背景を持つ岡澤セオンさん。
その両親から受け継いだ個性や価値観が、彼の魅力的な人柄を形作っています。
リングの上でも、バラエティ番組でも、ますますの活躍を見せるセオンさん。
これからも彼がどんな道を切り開いていくのか、とても楽しみです!
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